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会長挨拶

社団法人 緑の安全推進協会
会長 吉村正機

農薬安全性に関するリスクコミュニケーションを巡って

米国のサブプライム問題に端を発し、リーマン・ショックが引き金となった世界同時不況のもと、日本国内でもデフレの進行、失業率の高止まりといった、厳しい経済状況が続き、新型インフルエンザの世界的な流行、さらに秋口の歴史的な政権交代と、社会が激動した平成21年が暮れ、ここに平成22年が幕を開けました。年が改まっても、なかなか明るい展望が見えず、先行き不透明な中、手探りで前に進むほかないような状況ではありますが、なにはともあれ、新しい年を迎え、それなりに、今年こそはと気持ちを新たにするきっかけにしたいと思います。

さて、緑の安全推進協会は、農耕地や緑地・ゴルフ場等の緑資源の維持増進を図るため、農薬使用時の安全確保や適正使用の指導監督に当たる専門家として活動する、「緑の安全管理士」の資格認定や、その活動支援、農薬使用に関する正しい知識の普及啓発活動を行っています。そのなかで、農薬の安全性を巡るリスクコミュニケーションということについて、考えさせられることが増えています。

最近、一般市民が農薬に関する情報を入手するルートは、圧倒的にテレビ、新聞といったマスメディアが多いというアンケート調査結果をみました。これは予想通りだったのですが、改めて、このことが、農薬に関する社会の受け止め方に影響しているなという感じを持ちました。

これらのメディアによって取り上げられるニュースは、極めてまれに起こる問題事例のみで、適正に使用されている場面は、ニュースになりません。しかも、ニュースを受け取る側の興味を引くよう、必要以上にセンセーショナルな取り上げ方をされる場合が多いように思います。

農薬の使用場面は、通常消費者の目に見えないし、一般には、目の前の農産物にいつどんな農薬が、どのくらい使われたかという情報もないだけに、この種の報道の影響は大きいものがあります。一昨年に世間を騒がせた、中国産餃子のメタミドホス汚染による健康被害事件などは、その異常な濃度からして、意図的な混入以外は考えられませんので極めて特異な事例ですが、年に数件起きる残留基準値オーバーの農産物がみつかったというような事案でも、「基準値の何倍が検出された」といった表現で大変な危険があるかのように報道されます。生産側も騒ぎが大きくなって、風評被害が拡大するのを恐れ、販売禁止のレベルに達しない他のロットについても、出荷停止や、回収に動きますが、そのことがかえって消費者の不安をあおる結果にもなりかねません。現実には、安全サイドに立って、何重にも張り巡らされたリスクコントロールシステムがあるので、万一誤って、一回ぐらいその農産物を摂取したとしても、健康に被害が及ぶことはまずありません。

もちろん、だからといって、そのような基準値オーバーを見過ごすわけにはいきませんし、根絶に向けた努力を関係者一丸となって推進する必要があることは当然です。しかし、残留農薬に不安を抱く一般市民に、何重ものセイフティー措置により、限りなくリスクゼロに近づけるシステムが機能しているという実体を理解してもらうことも極めて重要ではないでしょうか。

近年の社会心理学の研究によれば、十分な情報と知識を持つ専門家と一般の人のリスクの認知の仕方にはギャップがあり、さまざまな心理的要因が影響することによって、判断にバイアスがかかるとされています。たとえば、得をした時は過小に、損をした場合は過大に感じる傾向があるとか、直感的に判断を下す際に、すでに持っている周辺情報に引きずられる傾向があるとか、そのことに関する関心の強さや、知識の量が少ない場合には、信頼できそうな人の意見に同調しがちであるといったことが指摘されています。このようなリスク認知の特徴が、専門家の説得的説明を簡単には受け入れず、仮に、表面的には理解しているつもりでも、潜在的な不安として常在し、何か事が起こるたびに表にでてくるというのが実態ではないでしょうか。

農薬を巡る安全・安心問題において、法的な規制の網がかかっている登録から使用基準に至る一連のプロセスは、各々の局面で、膨大な手間とコストをかけた科学的なデータに基づく専門家の評価の上に成り立っており、リスクは定量的に把握され、サイエンスの世界で「安全」が保障されているといえます。しかし、そこに人的な操作がかかわる「使用」というプロセスで、本当に、基準を守り、適正な使用が行われているかが保証されない以上、「安心」できないというのが消費者心理だと思われます。

「緑の安全管理士」は、その使用場面において、リスクコントロールを徹底する現場専門家として機能することを狙って設けられている資格ですが、全国2800名という数は、期待される役割に対して十分とはいえず、さらに大幅に数を増やしてゆく必要があると考えています。このような、緑の安全管理士の活躍は、消費者の「安心」を獲得する上で重要なポイントになると思われますが、リスクコミュニケーションが実効を上げるためには、関係者の間の信頼関係が重要だとされています。

そのような信頼関係を実現するための努力として、各地でトレーサビリティーネットワークの構築や、生産履歴の記帳、望ましい農場管理の手順をマニュアル化したGAPの導入などさまざまな取組みが進められています。しかし、それだけで信頼関係ができあがるわけではないし、リスクに関する正確な情報の提供努力を欠くことはできません。ただその際に、専門家が、啓蒙的、説得的立場から、一方的に説明しても、なかなか受け入れてもらえないという現実があります。

すべての人間が、専門家になることが望めない以上、リスク認知ギャップはあるのだという前提に立ち、それを埋めるため、このような地道な取り組みを進める中で、専門家と非専門家が安全の確保という共通の目標に向かい、同じ土俵に立ち、同じ目線で共考し、納得できる到達点を探すことが必要であると言われるようになってきました。近年のリスクコミュニケーションに関する世界の流れもその方向を目指しているようです。

21世紀に入って10年、世界の食料需給は必ずしも楽観を許さず、地球温暖化の進行に伴って、病害虫の発生相にも変化の兆しがみられる中で、農薬の果たす役割は、決して縮少することはなく、むしろその重要性を増してゆくと考えられます。農薬に対する正しい理解と、社会的なアクセプタンスを促進することは、極めて重要であり、そのために、リスクコミュニケーション活動の強化を図ることが、今日的な課題として重要性を増していると感じています。

(新農林技術新聞より)

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